CONGRATULATORY
ADDRESS
MESSAGE
愛護ギャラリー展がこのたび30周年という節目を迎えられましたことを、心からお慶び申し上げます。
平成4年度に第1回愛護ギャラリー展が開催されて以来、これまでの30年間に1万点を超える、個性溢れる素晴らしい作品が出展されてまいりました。知的障害児者施設等における文化・芸術活動の成果を発表する場として定着し、障害のある人や施設等に対する県民の理解促進と、施設利用者等の社会参加の推進に大きく貢献されましたことに、深く感謝申し上げます。
障害のある人の芸術作品の魅力のひとつとして、自由で広大な発想が迷い無く表現されている点が挙げられます。多くの県民の皆様がこの感性に触れ、感動を分かち合うことが、障害のある人に対する理解を深めることにつながっていると感じております。
本県では、「静岡県障害を理由とする差別の解消の推進に関する条例」に基づき、差別の解消と、障害のある人の不便さを取り除く「合理的な配慮の提供」の徹底に取り組み、全ての県民が、相互に人格と個性を尊重し合いながら、共生する社会の実現を目指しております。障害の有無によって分け隔てられることのない共生社会の実現に向け、着実に歩みが進んでおりますのは、愛護ギャラリー展をはじめ、様々な活動に取り組んでこられた、静岡県知的障害者福祉協会ほか関係の皆様のたゆまぬ御努力の賜物であり、改めて敬意を表します。
また、本県は、日本、中国、韓国の3か国による文化芸術振興を図る取組である「東アジア文化都市」の2023年開催都市に選定されました。日本の「文化の顔」、いわば「文化首都」として、本県に日本各地の芸術文化を結集して、世界に広く発信すべく、多彩な取組を進めてまいります。関係の皆様には、東アジア文化都市を契機に、知的障害児者施設等の多彩な文化・芸術活動の発信をますます進めていただければ幸いです。そして、愛護ギャラリー展をはじめとした障害者芸術を通じて、障害の有無に関わらず、文化・芸術活動の裾野が一層広がり、創造性豊かな新しい文化や価値観の創出につながっていくことを期待しております。
結びに、愛護ギャラリー展が30周年を契機にますます発展されますことと、関係の皆様の御健勝、御活躍を心から祈念申し上げまして、お祝いの言葉といたします。
令和5年3月
静岡県知事 川勝 平太
「愛護ギャラリー展30周年記念サイト」の御開設、誠におめでとうございます。
貴協会は、障がいのある方の日頃の文化・芸術活動の成果を発表することを通じて、障がいのある方や施設に対する理解を広め、障がいのある方の芸術活動の振興に熱心に取り組んで来られました。このたび開設される「愛護ギャラリー展30周年記念サイト」では、過去の作品集や作品の作成動画の紹介が行われるとのことで、これまで生み出されてきた作品の持つ魅力と作者の熱意にいつでも触れられるようになり、障がいのある方の文化・芸術活動への理解を深めることができるだけでなく、障がいのある方にとっては、生きがいの創出にもつながっていくことが期待されます。
また、障がいのある方の文化・芸術活動に係る指導者の確保や育成を目的に、「文化芸術活動コーディネーター育成事業」等についても紹介が行われるとのことで、この事業をきっかけに、障がいのある方が指導者の指南を受けながら、文化・芸術活動に励むことができる環境が整えられていくことも期待されます。これもひとえに、会員の皆様の御尽力による賜物であり、心から感謝申し上げます。
さて、本市では、令和5年度から新たに第4次総合計画を策定し、「市民が生涯を通じて生きがいを持ち、自立した生活を営むとともに、身近な地域で互いに心を通わせながら、支え合い共生するまちの実現」を目指して、障がいのある方の自立や社会参加を支援するための施策の推進に取り組んでいくこととしております。「愛護ギャラリー展」は、障がいのある方とない方の地域での交流を深めるとともに、障がいのある方の創作活動の士気を高め、地域で生き生きと自分らしく暮らせるようにすることに多大なる貢献をされております。この事業は本市の目指すまちの実現に向けた施策を体現するものであり、このような事業が毎年本市で開催されていることに、心から励まされる思いです。
末筆となりましたが、「静岡県知的障害者福祉協会」の益々の御発展と、会員の皆様の御健勝を祈念いたしまして、「愛護ギャラリー展30周年記念サイト」御開設のお祝いの言葉とさせていただきます。
令和5年2月17日
静岡市長 田辺 信宏
JUDGE'S MESSAGE
障がいではない個性が生かされた
今まで学んでこない、経験してこない、自分の表現。
障がいではない個性、特性として生かされ表現した作品の展覧会「愛護ギャラリー展。
こだわりがあるからできる、ひとつのことに集中するから出来た。
初めての経験で楽しんだ。一人ではできなかった。やってごらん。描いてごらん。一本の線、ひとつの丸から始まった作品展。繰り返し積み上げたから出来た。発表されたから飾られたからうれしい。
笑い顔、ひとりの人間として認められた。芸術には障害はない。線だけでもいい。丸のくり返しでもいい。色を並べるだけでもいい。形にならなくてもいい。見る人の目を見張らせるものであればいい。これがギャラリー展の目的ではないか?
人間はこだわるから、こだわりを活かすことで表現、心の純粋が画面に表れる。入選したいからではない。描きたいから描く素直さである。
自分の表現したいもの(描きたいもの)を自分のこだわりで描く。描き方を学び、積み上げて学ぶ。あれこれ言わないで認め表現したいものの出来る素材を与える。要求する素材を出して揃えてやる支援者でありたい。
愛護ギャラリー展は支援者の学ぶ心で変わる。
本人の心を育てるためにどんな支援が必要であるか自由に描きたい中に自分の個性(こだわり)が強く出たら、このこだわりを作品にしてやる。
作って描いてやることではない。個性を活かす方法を一緒に考えて夢を求めていく支援者と一緒の作品には迫力がある。
賞をもらいたいから支援者が描いてやった二人作品や、作品の中で心が二つになり迫力が薄くなる。迫力が無くなることは作品が求めている感動が2分の1になってしまう。
下手でも良い。自分のこだわりの表現、下手も絵のうち。継続された環境で描く。1年の流れの中で作品を描かせているから見る人に感動を与える。
誰でも感動を与える作品はできる。
個性、楽しんで書いていることが、色、線、形の新しい発見があり、こだわりがあるから感動も違う方向の発見がある。純粋だから概念ではない表現になる。描く楽しさは人間誰もが持っているただ経験していないから、これから経験して基礎を学ばせようとすればそれが支援者の表現力である。
こんな絵にしたいは、こだわりが強ければ強いほど表現にこだわりができて感動を与える。
支援者にこだわりと利用者のこだわりの隔たりをどこで分析するか。生活から生まれる生活ができるようになれば表現も楽しめる。
絵画療育として育てることを生活と結びつけることも大切である。
こんないろいろの経験、分析の角度を学ばせていただいた長い期間の愛護ギャラリー展でした。私は以下を重要視していました。
- 絵と額装
作品は本人が描くが、作品を良く見せるための額装は支援者です。考えて作者を大切にしていれば、汚いままのガラス、壊れた額ではない、新しい額装を揃えることが二人三脚の第一歩。私は重要視しています。
- 作品の管理と素材
描材と表現
・水性マーカーの表現された色の変化
・水性絵具のカビ
・破れ、しわ
・描材と合わない紙類 - 画面の線、色の塗り方の変化
モチーフのデフォルメの違い、支援者の手と本人の手の違い(技術の違い) - 作品の完成度
全体に丁寧に描いているか
感動を与える個性を生かしているか
愛護ギャラリー展ありがとう
長い期間審査をさせて頂き利用者だけではできない支援者の心、精神力、努力する姿に接し、楽しませていただきました。
あの作品、この作品、初期の市民ギャラリー時代の制作と、現在のグランシップでの作品の出品の思い、額装されない割れたガラスの額装段ボールに貼られた作品、今思えば作品が大切にされていない時代から、支援者が利用者の良さを求めて一体となって努力していることに嬉しさを感じています。
審査の時に私は、利用者と支援者の心が通じ合っているか、作者の心をどれだけ読み取って制作していたか、どんな環境で継続された精神が追及されているが、作品を大切にしているかを見させていただきました。
一本の線も引きたいと思った線には、見る人に感動を与えますが、心が入っていない線には不安な弱いもの、色、形の表現も自信を持って描いているか、これは大小の作品関係ないものです。作者を大切にしていれば作品を生かす服(額装)に心が入っているか、作品の汚れは気配りが出来ているか、これは作者を大切に育てているか、作品づくりで一番大切なことと考えていました。
学ぶことが多かった愛護ギャラリー展
- 2人3脚だからできる
本人の描くことだけ、作ることだけではない支援者の手助けがあるから出来る、作品を魅せるための額装方法、描く環境を整える支援、正しい心が通じている人の時は感性が育つが、雑な時に作品が弱くなる支援者と2人3脚、他の施設の移動したら出品しない、描いていない
支援者の考えで表現が違ってくる、こだわりが強ければ強いほど表現に現れてきている
施設の方向・方針の変化で個性がなくなる、環境がなくなる
出品する施設としない施設、しなくなる施設の違い、文化活動、余暇活動より働くことなど2人3脚の支援者の要請と環境づくり
- 文化活動を通じて心・精神・社会性を育てる、環境づくりに役立った愛護ギャラリー展
出品したい夢、賞を貰いたい夢が努力させ、描く、造る。制作意欲が継続された。(残念なことに、1回目から10回目頃の記録写真が不明。全国でも長く継続されている。作品がどのように変化したか見たいですね。)
支援者要請と愛護ギャラリー展の一体化で作品の向上や職員の意識を高めることは一部ではできたことは役割が大きかったと考える。
この為に底辺を広げるために賞の与え方、職員の意識を高めるために多くすべきか。いろいろな賞を与えたことで巾が厚くなるとも考えて、作品の分部的良さの発見を職員と一緒に批評会を兼ねた。
選考をしたことなど、私にとって学ぶことの多いギャラリー展でした。ありがとうございました。
本人が求めるものの巾、考える巾を深める為の支援者の精神安定と努力がどこまで作品に出ているか。
例えば、小さな作品でマーカーで描かれたインクの濃さの変化を利用した作品、○だけしか描けない継続している時に失敗と言って△になった、○の中の△の構成を見ていいといった支援者の感性から描く楽しさを味わえる様になる。
この人の生活をよくするために作品を通じて愛護ギャラリー展の入賞で自信をつけ生活が変化していく、賞の与え方も大切なこと、最後の賞は希望者と一体となって決めたこと。
実際に支援者の心を育てる、努力した足跡を残していく次の夢、育てて貰いたい心を育てるのにも役立ったことが愛護ギャラリー展での楽しみでした。
最後に、継続することの大切さ、そのためにも生活を豊かにする利用者の個々の表現の基礎を追求する人を育てることの出来る、楽しさと夢を与える展示会、善し悪しで派ない、楽しい表現を求めて巾広いものにしていく生活と結びつき、身近なものに発展する、生活の美を追えるのも、活かすものは何かが大切だと考えていてください。
30周年記念愛護ギャラリー展に寄せて
コロナで世界中が振り回された2年、それでもなお終焉の見えないコロナ禍に、心身ともに萎えてしまいそうな毎日ですが、そんな中、思えば燃え上がるような工ネルギーがたぎっていたのが、愛護ギャラリー展でした。
私が若い若い頃、用宗の海岸に木造の廃船があり、そこで遊ぶクラスの子ども達は、教室とは全く違う嬉々とした姿でした。その船を校庭に運び、全校生徒で取り組んだのが「空飛ぶ船」でした。
「どうしたらこの船が空を飛ぶのか? !」子ども達がワクワクしながら取り組んだ‘2か月。海岸にあったあの廃船がクレーン車でグワーツと空に浮かんだあの瞬間!声も出ないほどのあの感動!まさしく「空飛ぶ船」!!
私の長い教員生活の中で、忘れられない活動の一つです。
あの時の熱い感動が呼び起こされるのが、愛護ギャラリー展なのです。
生活用品で使われなくなった様々な物、自然界での小さな物から大きな物までを素材に、皆さんの思い描く創造性に満ちた思いもよらない造形活動。一人では到底できない大きな作品が、多くの仲間があるからこその見事な作品に出来上がっているのです。おとぎ話に出てくるようなテーマから、未来への展望に向けた作品等夢に満ち希望に満ちた作品が心に残っています。
それとはまた逆に、一人でよくまあここまで取り組んだと感動する作品もたくさんありました。その中の一つに、折り紙で、伺干何万羽の鶴を折り、それだけで製作された作品は、いつまでも脳裏から離れません。
愛護ギャラリー展は、まさに私に生きる力を与えてくれるものでした。いや私だけでなく、多くの人にそれぞれの想いの感動を与えてくれたことでしょう。
ここに参加される皆様、ご指導される職員の皆様、そしてこの運営を支えて下さる皆様に、心らから感謝致しますとともに、益々のご活動を心から願っております。
つくるひとの心について
愛護ギャラリー展をずっと見てきて、いつも感じていたことを話したい。
人間は地球に生きている5千万種の生き物の中で人類のみがただ一種類物を作り、話している人として生まれた奇跡に感謝しなくてはならない。
だから、作品を作る時、障害者も健常者も同等であるのに、そのありがたさをわすれがちである。
自分の意思で物づくりをするとき、動物たちとは異なる人間としての尊厳があるのです。
上手にできれば言うことはないが、下手であろうが、人としてこの地球上で誇れる生き方ができる奇跡を私たちは忘れてはならない。
それが健康で明るく生きていく力となります。
展覧会を楽しく見ながら、皆さんが熱心に土に向かった姿を想像しながら賞を付けるのは大変でした。全員が百点満点でした。
嘗て私の大学では、黒コンテによるデッサンの入試課題がありました。
コンテは、一般的には馴染みのある描画材料ではないため、硬さの異なる鉛筆を何本も用いての描画テクニックや、木炭の濃淡に慣れていると扱いに苦心します。顔料を蝋や油脂で固められたもので、気がついたら画面は真っ黒になり、消しとることも容易ではないからです。
ではなぜ、不自由なコンテを用いたのか?
そこには単なる訓練によるテクニックよりも、自ら感じ自らの手で表現していくということの差異をしっかり認識してほしいという願いがあったのではないだろうかと思います。
モチーフも多くの人が描き慣れた石膏像ではなく、動物、金魚、大きな作業台とススキ、数本の丸太など、彫刻という分野の特徴である空間の把握なども含め、描写力もさることながら普段からものを観る感性を重視した出題が多く、その点でも徹底していました。
そもそも他人と違って評価される唯一の分野であるはずなのに、評価に基準を設けることすら馴染まないのかもしれないと思うことがあります。
フランスでは、アール・ブリユットが「生の芸術」と言われていること、アウトサイダー・アートにはプリミティブアートとなども含み分野の幅が拡張していることは認識していますが、私にとっては、これらの表現が自らの感性に揺さぶりをかけてくれるものでしかないのです。
なぜなら教育の上に成り立っているとか、福祉の一環であるとか言い始めるほどこの道に詳しくないからです。そもそも表現として見ない限りは、こうした展覧会で評価をすることなど滸がましい気がしています。
おそらく最初にこうしたアートに触れたのは、世田谷美術館で行われた「パラレル・ヴィジョンー20世紀美術とアウトサイダーアート」展(1993)だと思います。
色彩の美しさはもとより、執拗なまでの筆跡の繰り返し、思いと時間の集積は自分には到底足りないと思えるものでした。
時々目にするこうしたアートにはいつも元気をもらい、どこかでコントロールしている自らの作品の在り方を軌道修正してくれているのです。
今年も多くの表現に出会えることを楽しみに、新たな刺激を受けることを願っています。